象潟町郷土資料館では、潟時代の象潟を825分の1の模型で
再現している。
また、象潟の旧景を余すことなく伝える図屏風がある、本荘
藩主がおかかえ絵師の牧野永昌に描かせたもので、鳥海山や
島々、田丁並みを忠実に、しかも当時の名称も添えて描写し
てある、往事を伝える歴史的な資料でもあり、県の文化財に
指定されている。そのほか、貝殻や埋もれ木などが展示して
ある。この埋もれ木は紀元前466年の噴火の際、杉が泥流
によって土中に封じ込まれ、近年掘り出されたもので、象潟
の成因の壮大なドラマを感じることができる。
■主な収蔵資料
■象潟図屏風(県指定)
■隆起前の象潟(825分の1模型)
■芭蕉の短冊伝・善良の筆
■芭蕉象潟自詠懐紙(複製)
■奥の細道屏風(複製)
■象潟の貝
■旅客集(複製)
■縄文土器・船絵馬・方角石・四ツ爪碇
■『旅客集』の中の有名人とその文
小林一茶(1763〜1827年)
信濃国(現長野県)出身の俳人。
「日も西海にかたぶき、夜ごろ旅宿をもとめて、先は一見せ
ばやと、小舟にさほさして、はるか湖中に浮みぬれば、昏れ
いぞく里人、我家へ帰る有さま、目のあたりなりけらし

象潟や鳩がくれ行刈穂船

寛政元酉ノ八月九日右東都菊明
平賀源内(1726〜1779年) 江戸時代中期の科学者。1773年
秋田藩の鉱山技術の指導の ため来秋。 「はるばる此所に潟見物二
来ルニ、間相八家二三日逗留し、大 雨にてよめル 象潟や雨二ふら
れてねぶり空 風来山人花押

■島海山は何度噴火したのか----ほぼ10回
鳥海山は昔から何度も噴火していますが、その回数については各説があり混乱していました。
しかし、最近の研究からほぼ確実に噴火したと認められるものは記録上10回です。ではそ
れぞれを見てみましょう。

第1回目810〜823年(弘仁年間)弘仁の噴火『三代実録』による
第2回目839年(承和6)承和の噴火『続日本紀』による
第3回目871年(貞観13)貞観の噴火『三代実録』による
第4回目884年(元慶8)元慶の噴火『三代実録』による
第5回目915年(延喜15)延喜の噴火『扶桑略記』による
第6回目939年(天慶2)天慶の噴火『本朝世記』による
第7回目1740年(元文5)元文の噴火1年間鳴動噴煙続く
第8回目1801年(享和元)享和の噴火荒神嶽より噴火、新山形成
第9回目1821年(文政4)文政の噴火七高山より石と石れき噴出する
第10回目1974年(昭和49)昭和の噴火泥流を流す            「象潟の文化」(S57年度)より

※このWebページは、象潟町観光協会 http://www.kisakata.org/kyoukai/ からのリンクページを加工使用して
 います。